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徳川家茂の心優しいエピソード、数多くあります

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戸幕府の14代将軍・徳川家茂は、生まれつき病弱な身でありながら、
13歳で将軍に就任しました。

よい将軍であろうと文武両道に努め、勝海舟幕臣からも、
厚い信頼を得ていたそうです。
勝海舟による家茂毒殺説などもありますが、ここでは亜説を無視します)

とにかく家茂という人はとても優しい人柄だったようです。

それを示すこんなエピソードです。

戸川播磨守安清という書の名人として知られる幕臣が、
家茂に書道を教えていました。

家茂はとてもよい生徒で、いつもきちんと練習していました。

しかし、ある日のことです。

突然、家茂は、安清の白髪頭に硯の水をかけ、
手を叩いて笑いだしたのです。

よくテレビでみかける「殿、ご乱心!」みたいな場面です。

同席していた側近は、将軍らしくないことをしたもんだと嘆きました。

そして安清も泣きだしてしまいました。

安清が泣いている様子を見て、側近たちは
家茂の振舞いを情けなく思って泣いているのだと思いました。

ところが、真相は別にあったのです。

安清は側近に打ち明けます>>>

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清は、自分のために将軍が悪しざまに噂されるのを避けるため、
恥をしのんで側近に打ち明けました。

「実は自分は年をとってしまったために、
 ふとしたはずみで失禁をしてしまったのだ。
 将軍様の前で失禁など、厳罰は逃れられぬ失態。
 しかし、将軍様は私に水をかけて失禁を隠してくださった。
 ・・・そんな配慮をしてくださる優しさが嬉しくて泣いているのだ」

弱いランナー高橋尚子を変えた高校教師の言葉

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ドニーオリンピック女子マラソン

金メダリスト高橋尚子さん。

世界の頂点に登りつめた高橋さんですが、
実は、中学・高校時代は決して強いとは言えず、
とても全国大会で通用するような選手ではなかったのです。

ご本人が述べていますが「心身ともにすごく弱い」選手だったそうです。

こんなことやってて意味があるんだろうか。

もういやだ、もうダメだ、やめてしまいたい。

毎日そんな後ろ向きで、不安な気持を抱えながら、
日々過ごしていたそうです。

そんな苦労時代、高校の陸上部の顧問・中澤正仁先生から贈られた言葉で、
身体に電気が走ったそうです。

なかなか結果が出ない。

しかし、今、結果が出ないのは、それは準備期間に過ぎないからだ。

何のために、今の準備期間があるのか、

そんなことを高橋さんの心の深いところに届けてくれた言葉。

高橋さんは、その言葉を下積みの日々、毎日念仏のように繰り返し、

自分に言い聞かせたそうです。

その言葉に出会わなければ、マラソンの喜びに出会うこともなかったと言います。

その言葉とは>>>

 

澤正仁先生から贈られた言葉、それはこれです。

何も咲かない寒い日は、

下へ下へと根を伸ばせ。

やがて大きな花が咲く。

結果が出ない時は、地道な努力を重ね耐えること。

決して目には見えない根っこのように…

この言葉を胸に刻んだ高橋さんは、
その後世界一とも言われる練習量をこなし、
肉体も極限まで高め、大きな、大きな花を咲かせることができました。

シドニーオリンピック女子マラソンで金メダルを獲得し、
一躍国民的ヒロインとなった高橋さんでした。

しかし、次のアテネでは代表になれませんでした。

その時、高橋さんはこんなことを口にしています。

「私から陸上をとっても、何も残らないというわけじゃない」

一見、負け惜しみみたいに聞こえますが、彼女の本意はそうではありません。

こんな気持から出た言葉でした。

マラソンにはゴールはあるけれども、
 マラソンを通じて得たものには終わりなんてないんですよね

 

沢村鐵『クランⅠ - 警視庁捜査一課・晴山旭の密命』読了

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内容(「BOOK」データベースより)

渋谷の片隅で警察関係者の遺体が見つかった。明らかな他殺体を自殺と断定した鑑識課の検視官・綾織美音。疑念を抱いた捜査一課上層部は、晴山旭警部補に内偵を命じる。彼女の目的とは一体?真実を明らかにした晴山の前に現れたのは、警察内に潜む巨大な闇の存在だった―。

 

去年ぐらいから、本屋で見かけるシリーズ。

 

気になったので、読んでみた。

 

予想以上に面白い。

 

警察組織の腐敗を、組織内から改善していこうとする動き、

 

それを阻止すべく、腐敗した側は

 

正義の警察官を殺害、しかも自殺と偽装。

 

その裏に挑発的なメッセージを残す。

 

非常にスリリングで、期待感の持てる内容だった。

 

しかも、クランという旗のもとに終結した刑事たちの

 

半信半疑な心情もストレートに表現されていて、

 

読み応え、充分で、次を読みたい衝動が起こる。

 

クランはまだ続いているようなので、

 

この作家さんの別のシリーズ(すでに完結)している

 

警視庁墨田署刑事課特命担当・一柳美結を購入して、

 

読んでみようかな。

 

そう思ってしまいます。

 

まあ、本屋でよく見かける本には、

 

良い作品が多いということですね。

友人が明かす田中将大(マー君)の少年時代の話

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るテレビ番組で、田中将大選手の少年時代のエピソードが、
小学校の同級生から語られました。

話してくれたのは、小学校時代の同級生の堤田さんという方でした。

家が近所で、小学校から中学校まで同じ学校に通っていたそうです。

堤田さんは小学校時代、非常に内気でおとなしい性格でした。

そのため、クラスの男子からはいじめの標的とされ、
いつもプロレスごっごの相手役をさせられていました。

クラスの他の生徒たちは、そんな堤田さんを見てみぬふり。

非常につらかったそうです。

そんなある日、 堤田さんは、いつものようにいじめっ子たちから、
プロレス技を掛けられていました。

そこに、マー君がやってきて、こう言ったそうです。

「もういいじゃないか、やめろよ!」

そういって、いじめっ子たちからかばってくれたのです。

そして堤田さんを、そこからいったん連れ出しました。

堤田さんいわく、マー君が彼にとっての、
初めての友達になったそうです。

仕返しが怖くて誰も注意できない中、
マー君はちゃんと相手を注意できたんですね。

確かに、大人の目線からみたら簡単なことかもしれませんが、
子供にとってはすごく大きなことです。

子供にとって、多数派に対抗する少数派、

それもいじめられる側をかばうのは、かなり勇気のいることです。

当時からマー君の人柄、弱きを助け強きをくじく正義感が、
ここに芽吹いていたのでしょう。

しかし、彼のこのエピソードは、ここで終わりではありませんでした>>>

の後、マー君は堤田さんをいじめっ子たちのところへ連れて行き、
もう一度、プロレスごっこを始めたのです。

しかしそれは、それまでの一方的なプロレスごっこではなく、
技を掛けられるばかりだった堤田さんにも、
いじめっ子たちに向けて、技を掛ける役をやらせたそうです。

プロレスごっことは、本来楽しい男の子の遊びですね。

いじめとか復讐ではなく、堤田さんにも技を掛けさせることで、
その楽しさを体験させたかったのでした。

田中将大選手、その少年時代に、正義感の片りんを見せるだけでなく、
お互いに禍根を残さないための、橋渡しまでやってのけているわけですね。

本年のマー君のアメリカでの活躍も期待されます。

アメリカのファンは、正義とフェアに対し、惜しみない声援をおくってくれます。

これからも、マー君が米大リーグで大きな感動を与え、
多くの声援を受けるのを想像しています。

 

運をつかむには、◯◯なときに◯◯な場所にいること。

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私たち人間は運を味方につけなければうまく生きられない。

運がなければ、何事も思うようにはいかない。

「成功」の定義がどのようなものでも、運は成功するための欠かせない要素なのだ。

あなたが人生で得たいものは何だろう。

金持ちになること、有名になること、

プロとして尊敬されること、幸せな結婚、愛されること…。

それが何であれ、すでに手に入れているだろうか。

ほとんどの人が「いいえ」と答えるに違いない。

まだ目標を達成していないのだ。

なぜだろうか。

自分の人生を振り返ってみてほしい。

ゴールへたどりつくのを邪魔しているものは何か。

能力が足りないのだろうか。

あるいは単に運が悪かったのか。

「運が悪かった」という答えは、間違いなく当たっている。

何か目標に向かって努力している人たちは…例外はあるにせよ…たいてい「正しい」。

目標にたどりつけないのは、往々にして運がなかったからだ。

それを証明する事例は数えきれないほどある。

先日、地元のアマチュア劇団の芝居を見に行ったときにもそのことを痛感した。

多くの劇団員はプロになることが夢だと語ってくれたが、

なかなかチャンスがめぐってこないようで、半ばあきらめているようだった。

なぜチャンスがやってこないのか。

才能がないのだろうか。

そうではない。

彼らはテレビや映画でいつも目にするスターと同じくらいに演技が上手だった。

では、その違いは何か。

一握りのスターが頂点に登りつめる一方で、

それほど能力が変わらない数多くの俳優や女優が

地元の小さな劇団でしか役をもらえないのはなぜだろうか。

答えは一つしかない。

「運」だ。

運をつかむには、適切なときに適切な場所にいること、

そして誰かを知っている人を知っていることが必要なのだ。

「正しい」だけでは十分ではない。

『運とつきあう』日経BP社

渡辺和子「全ての存在を確かめる瞬間」

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胃の存在が否が応でも知らされるのは、

胃の調子が悪い時であり、

自分に歯があると気づくのも、

歯が痛いときでしかない。

ふだんはあっても無くても別段かまわないような、

小指の存在の大切さは、

その小指に怪我をして、

顔一つ洗うのにも不自由する時に、

はじめてわかるものなのだ。

言葉を換えていえば、

そのものを忘れていられる時は、

健康な証拠なのだ。

~~~

出典

[愛をつかむ]

渡辺和子 著

PHP研究所より

西田文郎「有無・無有の思考法」

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人は自分にないものを持っている人を尊敬します。

他人を敬うこと自体は素晴らしいことです。

ところが、自分が持っていないものだけに意識を向けていると、

「あれもない、これもない」とマイナスの錯覚を起こしてしまいます。

そうした考えから脱するには、「有無・無有の思考法」が役に立ちます。

つまり、「相手にあって、自分にない」という思考を逆転して、

「相手になくて、自分にある」ことを考えてみるのです。

私は企業の社員教育にいくと、物事を逆から見るという訓練をさせます。

たとえば、支店に勤めている人は、本店に対してコンプレックスを抱いている人が多い。

どうせ、支店では大したことができないと思っている傾向にあります。

そういう場合には、

「本店にあって支店にないものは何ですか」と一方思考で考えさせると、

「やっぱり本店はすごい」と思って勝てなくなってしまう。

ところが、逆から見てもらうと

「支店にはあれもある、これもある」とどんどんアイデアが出てくるのです。

人間がすごいのは弱いからです。

像やライオンより強いからではありません。

人間は弱いからこそ、自分にあって相手にないものを常に脳に問いかけてきた。

だからこそ、人類はここまで発展してきました。

そもそも、世の中に絶対ということはありません。

いままでこうだと決めつけていたことも、

逆の立場になってみると、違った側面が見えてきます。

この逆からの発想が、いつの間にか自分が

絶対と決めつけている「正しさ」に拘泥(こうでい)していることに気づくための、

もっとも有効な方法です。

一つひとつ逆から見る癖をつけておくと、

自分と反対意見を持った人がいても

「そういう考え方もあるよね」と受け入れられるようになります。

そうすると、世の中から喧嘩や争い事がなくなるはずです。

自分だけが正しいと思ったら、破滅が始まります。

自分の「正しい」をやめる勇気を持ちましょう。

それが悪い錯覚を外すためのもっとも重要なポイントです。

そして、それが進歩や進化につながっていくのです。

『錯覚の法則』大和書房