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【バス乗ってたら、座ってた男性が叫んだ】

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突然・・・「よっっっしゃぁ!」


バス乗ってたら、

座ってた男性が小声で携帯に出て何か話した後、

結構でかい声で

「よっっっしゃぁ!」

と叫んだ。

車内のびっくりした目が集まったのに気付いたのか、

急に顔真っ赤にしてペコペコしながら

「すっ、すいません!妻が今、出産して…」

と。

するとバスの運転手さんが


おめでとうございます。


「わたくし安全運転、時間厳守を心がけておりますので残念ながら

スピードは出せませんが、おめでとうございます。

安全に、時間通り、お客様方、お父様をお運び致します」

と放送かけた。

男性の近くに座ってたお婆さんが

男性に話しかけてて

「おめでとうねぇ」

「ありがとうございます」

「子供は可愛いわよぉ。大事にしてあげてね」

と会話してた。
病院前のバス停に着くと、

男性は「すみません、お騒がせしました。ありがとうございます」

と運転手さんに言って、

こけそうになりながら降りてダッシュしていった。

いいもの見た。

 

 

メニューの漢字が読めない

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20年前ぐらいの前の話

当時俺の家はいわゆる片親ってやつで、すげぇー貧乏だった。
子供3人養うために、かぁちゃんは夜も寝ないで働いてた。
それでもどん底だった・・・

俺は中学卒業してすぐ働きに出た。
死ぬほど働いた。遊んでる暇なんてなかった。

1年ぐらいして同級生に久しぶりに会った。
飯食いに行こうって話になった。
メニューの漢字・・・読めなかった。
読めたのは、一つだけカタカナで書いてあった「オムライス」だけ。
同級生は「焼きそばとごはん」って注文した。
無知な俺は「じゃあ俺はオムライスとごはん」って店員に言った。

 

オムライスとごはん

店員、固まってた。
クスクスって笑い声も聞こえてきた。
そしたら同級生
「さっきのキャンセルね!!俺もオムライスとごはん!!」

・・・
店出た後、同級生が一言
「うまかったな」って言った。
「仕事がんばれよ」って言ってくれた。

泣けてきた
心の底から人に「ありがとう」って思った。
そいつは今でも親友です。

 

 http://okip.jp/step/IIVc62z6/?p=1271

24歳の高杉晋作が、日本・植民地化の入り口を閉めた

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HKの大河ドラマ「花燃ゆ」、最近、今ひとつ積極的に観てませんでしたが、
昨日は、高杉晋作連合国側との交渉に臨む場面だったので観ました。

イギリスとの戦争に敗れた長州藩は、
講和大使として24歳の高杉晋作を選びました。

松陰先生の薫陶を受けた秀逸な塾生、
高杉晋作は家柄だけで重責を任されたわけではありませんでした。

誇り高い高杉に長州の矜持を示して欲しかったのかもしれません。

交渉の場に現れたイギリスのクーパー提督は、
山口県の南端にある「彦島」を租借したいと言いました。

クーパー提督は、英・仏・米・蘭の連合国側の代表でもあり、
数多くの条件を提示していました。

晋作は、そのほぼ全ての条件をのみますが、
彦島の租借」については、頑として要求にノーを突きつけました。

この交渉の席では、後の総理大臣の伊藤博文が通訳をしており、
そのときの高杉晋作の豪胆ぶりや、先読みの深さについて感服しています。

高杉晋作が、ほぼ全ての条件をのみながらも、
彦島の租借」についてのみ、絶対に譲歩しなかったのには、
ちゃんとした理由があります。

晋作が、難しい交渉で相手の要求を取り下げさせた、

 

島の租借」を提示された高杉晋作

クーパー提督に対し、烈火の如く怒りました。

というのも、晋作はその2年前に上海で、
西洋の租借地の様子を見ていたからです。

「犬と中国人、入るべからず」と書かれた看板を見て、
このままだと、日本もいずれこうなってしまうと
危機感を募らせていたのです。

晋作は、場合によっては相手を斬り、
自分も自害するほどの覚悟で、交渉に臨んでいたといいます。

晋作の気迫に圧されたクーパー提督は、彦島の租借をあきらめましたが、
もし、このとき、高杉晋作が「ノー」を突き付けなければ、
今日の日本の近代化は無かったとまで言われています。

皆と仲良くする「和」を大切にする私たちですが、
大切なものを守るためには、「ノー」の姿勢を貫くことも必要ですね。

 

 

松居一代さん、ジェットコースターのように…

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レントの松居一代さんは、ジェットコースターのように
起伏の激しい人生を生きてきました。

その昔は、11PMの大阪で、カバーガールとして
藤本義一さんと並んで登場してました。

松居さんの最初の結婚は29歳の時、当時はバブルに差しかかる頃でした。

DCブランドの経営者との結婚で、いわゆる玉の輿結婚と呼ばれ、
周囲の羨望を集めました。

結婚して3年目には、待望の長男に恵まれました。

だけど、ここからが(壮絶な)ドラマの幕開けでした。

信頼していた夫に愛人がいるという事実が判明し、
松居さんは苦しみます。

どうしようもない気持を抱えて、夫と愛人の密会中のホテルにまで、
乗り込んだこともありました。

でもすぐに離婚の決意をしなかったのには、理由がありました。

長男の隆一君がひどいアトピーで苦しんでおり、
母親として、自分の我慢を優先させたのでした。

それでも、夫の浮気相手は、一人や二人じゃなく、
束の数ほどいることが分かり、
これはもう修復不可能と結論付けた松居さん、
離婚に踏み切りました。

アトピーの息子とともに再出発の松居さんです。

男性的にさっぱりしたところのある松居さんだから、
憂いよりも、すっきり感の方が強かったかもしれません。

しかし別れた夫からの災厄は、まだ追いかけてきました。

バブルが崩壊し、元夫の事業も不振を極めていました。

松居さんは、いつの間にか身に覚えのない多額の借金(1億7,500万円)の
連帯保証人にされていたのです。

普通なら、もうここで倒れてしまいそうなところですが、
松居さんは、ここで音を上げることなく、
自力の戦いを始めます。

女優業に復帰し、生計を立てつつ、莫大な借金を返済し、
息子の育児と治療にも手を抜かない、そんな松居さんでした。

ただ、この頃の無理が重なり、ストレスを蓄積させたせいでしょうか、
松居さんは「顔面神経痛」を引き起こしてしまいます。

それも舌がマヒして動かないほどの、重度の症状だったのです。

もはや女優業引退の危機にさらされました。

ここでも、松居さんは挫けず、東洋医学・針治療に助けを受け、
病気を克服し、女優業へ復帰します。

やがて、松居さんは、俳優の船越英一郎さんと出会い、
再婚します。

船越さんは、この結婚について、父船越英二さんからの猛反対を受けます。

二人の結婚式にも船越両親は出席しませんでした。

一人息子でありながら、英一郎さんは、相続放棄するほどまでに、
背反することになってしまいました。

出来るならば、両者円満な結婚が望ましいのですが、
こればかりは、家それぞれに色んな事情があります。

良し悪しだけで言えないことがあります。

ここで、船越英一郎さんの松居一代さんへの愛情を、
よく表わすお話があります。

息子の隆一くんとの信頼関係をきちんと築くまで、
船越さんは、時間をかけて、松居さん母子との付き合いを大切にしました。

「すぐには父親になれないかもしれないけれど、
 友達にならなれる」

そう言ってよくふたりでキャッチボールをしたり、
いろいろなところに出かけたりしました。

そんな時間の積み重ねにより、やがて、
隆一くんは船越さんの不在を寂しがるような関係になりました。

いよいよ結婚の機は熟したと判断し、
正式に婚姻届けを出し、晴れて夫婦となる日が来ました。

婚姻届けを役所に提出し、
二人は、小学校から帰ってくる息子、隆一君を待ちました。

夫婦になったことの報告を、
まず隆一君に真っ先にしたいと思ったのです。

小学校から帰ってきた隆一君です。

その隆一くんの玄関での第一声に、
ふたりは泣かされてしまいました

一君は、玄関で叫びました。

「ただいま、”船越”隆一が帰って来ました!!」

この第一声にふたりは仰天すると同時に、
思わず涙をこらえきれなくなったそうです。

隆一君の気持を何よりも尊重していただけに、
お二人にとって、何と嬉しい言葉だったことでしょう。

また、こんな話があります。

松居さんが、あるテレビ番組の占いコーナーで、
著名な占い師から、名前を変えた方がよいと言われたことがありました。

「一」代ではなく「和代」にした方が運勢が変わるとのことでした。

松居さんは即座に「いえ、このままでいいんです」
と答えました。

その理由は、こういうことだったのです。

一代さんの「一」は、
隆一君の「一」、英一郎さんの「一」、
こんなに大切な「一」を変えられるはずがない松居さんでした。

現在、いろんな活躍の場を持つ松居さんです。

掃除のスペシャリストとして
マツイ棒」を発明したのも有名です。

掃除で、あれほど徹底的なスペシャリティを
発揮できるようになったのにも理由があります。

実は、アトピーで苦しんだ隆一君の環境を守るために、
あれこれ部屋まわりを清潔に整えることに一生懸命だったのですね。

松居さんは、こんなことを称して、自らを
「転んでもただでは起きない」と言っています。

確かに、ジェットコースターのような松居さんの軌跡ですが、
降りるときの勢いすら、次に駆け上がる足がかりに出来る
松居さんの強さがしのばれます。

参考本:芸能界「心に残るいい話」東海林のり子:二見書房より

ディズニーの創業者、ウォルトの「友だち」は、この人

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々に夢を与えるディズニー。

その創業者ウォルト・ディズニーは、見るからに温厚な風貌で、
夢の提供者に相応しい優しい人柄をしのばせます。

しかし、彼が自らの夢を実現するまでには、
何度も何度も、逃げ出したくなる試練が訪れます。

やはり偉大な夢には、それに相当する大きな苦悩が
セットになっているのでしょうか。

今、夢の象徴ともなっている「ディズニー」ですが、
必ずしも、成功の道筋が一直線に引かれていたわけではない。

すべての道は紆余曲折であることを、
以下のダイジェストで、ご覧ください。

ウォルト・ディズニーは、子どもの頃から人を喜ばせるのが大好きでした。

絵が得意で、絵を描いて皆が喜んでくれるのを見るのが
何よりうれしかったのです。

けれども彼の家は決してお金持ちではありませんでした。

小さい頃からアルバイトもしました。

その上、8歳の時にはお父さんが病気になってしまい、
家はますます貧しくなります。

持っていた農場も手離すことになりました。

でもウォルト少年はへこたれませんでした。

お父さんを助けて、新聞配達をしながら学校に通いました。

ウォルトはどんな大変な時にも大好きな絵だけは忘れませんでした。

真剣に勉強し、描き続けました。

そして、いつしか
『自分は絵で人々に勇気を与えていこう。
 愛と喜びを与えていこう。それを一生の使命にしたい』
と願うようになりました。

さて、そうはいいながらも、
ウォルト・ディズニーの未来への夢は、周りの人には
なかなか分かってもらえませんでした。

反対もされました。

彼はまず小さな広告会社で働くことから出発しました。

宣伝の絵をかく仕事です。

大きな夢に向かって、まず現実の一歩を踏み出したのです。

そのうちに映画作りも始めました。

だんだん名前も知られるようになりました。

やがて独立し、数人のアニメーターを呼び寄せて、
事業の拡大を目指しました。

わずか20歳での事業拡大には、やや無理があったようです。

ウォルトは、制作に没頭するあまり、資金のやり繰りがつかず、
この会社は倒産に追い込まれることになります。

しかし、その後もウォルトはあきらめず、
活躍の場を映画産業の本場ハリウッドに移し、再起を図ります。

ここで、ウォルト・ディズニーは、兄のロイ・ディズニーとともに、
再度のチャレンジで、新会社を設立しました。

これが実質上の「ディズニー社」の原型でした。

ここでも、当初は素晴らしい作品群を世に送り出し、
順風満帆な滑り出しでした。

しかし、いい時は長くは続きません。

ここでも逆風の試練がウォルト・ディズニーを待ち構えていました。

ウォルトは、信用していた人に騙され裏切られてしまいます。

夜もろくろく寝ないで作った大事な映画の権利を
奪われてしまったのです。

そのうえ、多くの社員たちも共に去って行ったのです。

ウォルトは、またも、悲しみのどん底
つき落とされてしまいました。

お金もない。

仕事もない。

頼れる味方もない。

何もかも失くして、いよいよ『もうダメだ』と思いました。

そんな時、ふとある「友だち」のことが、
ウォルト・ディズニーの頭に浮かびました。

その友だちこそが、ディズニーの劇的な飛躍のキーとなります。

その友だちとは>>>

独なウォルトの心に浮かんだのは、ある『友だち』のことでした。

友だちとは、以前、ウォルト・ディズニー
独りぼっちで絵を描いていた時、
部屋に現れたネズミのことです。

心優しいウォルトは、そのたった1人の友だちに
自分のパンを分けてあげていたのです。

『そうだ、彼がいる!』ウォルトは、
その小さな友だちを新しい主人公に決めました。

これが劇的な『ミッキーマウス』の誕生だったのです。

ミッキーマウスは、たちまちアメリカ中の人気者になりました。

明るく、元気いっぱいのミッキーに、大人も子どもも、
そしてどこの国でも人々は惹きつけられました。

このように、ミッキー・マウスは、ディズニーの
最も苦しい時の涙の中から生まれたのです。

他のサクセスストーリーでも、よく示されています。

一番つらい時、その時こそ一番大切な時なのですね。

ピンチの時には、新しい道が開けるチャンスの時でもあります。

続けてディズニーは、ドナルド・ダックやダンボ、バンビなど、
楽しい仲間を世界に送りだしていきます。

その後も彼には、人に騙されたり、
お母さんの突然の死に遭ったりと
悲しいことや辛いことが待っています。

けれども、まるでそれを跳ね返すように、
彼の夢はどんどん大きくなり、
やがて、世界中のどこにもない
「夢の王国」を作りたいと思うようになりました。

「たくさんの人を喜ばせてあげたい」

その気持ちから、あのディズニーランドが生まれたのです。

  1. 出典:ゆるゆる倶楽部 まとめde Goo!

笹本稜平『還るべき場所』読了

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内容(「BOOK」データベースより)

世界第2の高峰、ヒマラヤのK2。未踏ルートに挑んでいた翔平は登頂寸前の思わぬ事故でパートナーの聖美を失ってしまう。事故から4年、失意の日々を送っていた翔平は、アマチュア登山ツアーのガイドとして再びヒマラヤに向き合うことになる。パーティに次々起こる困難、交錯する参加者の思い。傑作山岳小説、待望の文庫化。

 

山岳=山登りのイメージが強くて、

 

スポーツというより娯楽という感じ。

 

この作品を読んで、山岳は命を賭けてスポーツ。

 

命がけだからこそ、命の重さ、

 

ひとつのミスが大きなトラウマとなる。

 

そして、生きることの意味、重さを感じることができる。

 

山岳に関して、全く知識がない私ですが、

 

読んでいて、熱いものを感じることができ、

 

読了後は命の意味、魂の輝きを考えさせられた。

 

我々は「生きている」のではなく、

 

「生かされている」と痛感する。

 

だから、生きることではなく、

 

魂を揺さぶる生き方ができることを探さないと・・・

 

 

吉川英梨『ルビイ~女性秘匿捜査官・原麻希』読了

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内容(「BOOK」データベースより)

警視庁捜査一課の原麻希は、娘の菜月が、史上最凶の犯罪脚本家である背望会リクルーターの娘・結芽と交流を持っているのではないかという疑いを持つ。さっそく結芽が通う小学校に向かった麻希は、平日にもかかわらず、校内に誰もいないことに気づく。気配を残したまま、忽然と姿を消した全校児童たちの行方は―!?女性秘匿捜査官・原麻希がシリーズ最大の難事件に挑む、人気警察小説シリーズ完結編。

 

憎しみと憧れ、好きと嫌いなど、

 

人の想いというのは、正反対のものを抱くが

 

大きな視点で見れば、同等なのかもしれない。

 

異常な行動の発動には、普通への憧れがあるが、

 

反対に、普通ということに憎しみを同時に

 

人は持っている。

 

人の心理は、興味を抱くことで、

 

相反する2極の想い、感情が交差し、葛藤する。

 

このシリーズ全般で、示されている。

 

結局、リクルータもそういう葛藤から、

 

逃れられないことを理解しながらも、

 

自分と同じ葛藤を持つ者を愛おしく感じたのかも。

 

最後は潔く?罰を受け入れた。

 

また、主人公・原麻希も、母、刑事、妻の葛藤に

 

もがきながら、正義を貫く。

 

正義という想いの中にも

 

反対の正義の葛藤にもがく。

 

非常に面白いシリーズだった。

 

続編シリーズはどうなるのかな?

 

『警視庁「女性犯罪」捜査班・警部補原麻希』シリーズが

 

楽しみです。