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松居一代さん、ジェットコースターのように…


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レントの松居一代さんは、ジェットコースターのように
起伏の激しい人生を生きてきました。

その昔は、11PMの大阪で、カバーガールとして
藤本義一さんと並んで登場してました。

松居さんの最初の結婚は29歳の時、当時はバブルに差しかかる頃でした。

DCブランドの経営者との結婚で、いわゆる玉の輿結婚と呼ばれ、
周囲の羨望を集めました。

結婚して3年目には、待望の長男に恵まれました。

だけど、ここからが(壮絶な)ドラマの幕開けでした。

信頼していた夫に愛人がいるという事実が判明し、
松居さんは苦しみます。

どうしようもない気持を抱えて、夫と愛人の密会中のホテルにまで、
乗り込んだこともありました。

でもすぐに離婚の決意をしなかったのには、理由がありました。

長男の隆一君がひどいアトピーで苦しんでおり、
母親として、自分の我慢を優先させたのでした。

それでも、夫の浮気相手は、一人や二人じゃなく、
束の数ほどいることが分かり、
これはもう修復不可能と結論付けた松居さん、
離婚に踏み切りました。

アトピーの息子とともに再出発の松居さんです。

男性的にさっぱりしたところのある松居さんだから、
憂いよりも、すっきり感の方が強かったかもしれません。

しかし別れた夫からの災厄は、まだ追いかけてきました。

バブルが崩壊し、元夫の事業も不振を極めていました。

松居さんは、いつの間にか身に覚えのない多額の借金(1億7,500万円)の
連帯保証人にされていたのです。

普通なら、もうここで倒れてしまいそうなところですが、
松居さんは、ここで音を上げることなく、
自力の戦いを始めます。

女優業に復帰し、生計を立てつつ、莫大な借金を返済し、
息子の育児と治療にも手を抜かない、そんな松居さんでした。

ただ、この頃の無理が重なり、ストレスを蓄積させたせいでしょうか、
松居さんは「顔面神経痛」を引き起こしてしまいます。

それも舌がマヒして動かないほどの、重度の症状だったのです。

もはや女優業引退の危機にさらされました。

ここでも、松居さんは挫けず、東洋医学・針治療に助けを受け、
病気を克服し、女優業へ復帰します。

やがて、松居さんは、俳優の船越英一郎さんと出会い、
再婚します。

船越さんは、この結婚について、父船越英二さんからの猛反対を受けます。

二人の結婚式にも船越両親は出席しませんでした。

一人息子でありながら、英一郎さんは、相続放棄するほどまでに、
背反することになってしまいました。

出来るならば、両者円満な結婚が望ましいのですが、
こればかりは、家それぞれに色んな事情があります。

良し悪しだけで言えないことがあります。

ここで、船越英一郎さんの松居一代さんへの愛情を、
よく表わすお話があります。

息子の隆一くんとの信頼関係をきちんと築くまで、
船越さんは、時間をかけて、松居さん母子との付き合いを大切にしました。

「すぐには父親になれないかもしれないけれど、
 友達にならなれる」

そう言ってよくふたりでキャッチボールをしたり、
いろいろなところに出かけたりしました。

そんな時間の積み重ねにより、やがて、
隆一くんは船越さんの不在を寂しがるような関係になりました。

いよいよ結婚の機は熟したと判断し、
正式に婚姻届けを出し、晴れて夫婦となる日が来ました。

婚姻届けを役所に提出し、
二人は、小学校から帰ってくる息子、隆一君を待ちました。

夫婦になったことの報告を、
まず隆一君に真っ先にしたいと思ったのです。

小学校から帰ってきた隆一君です。

その隆一くんの玄関での第一声に、
ふたりは泣かされてしまいました

一君は、玄関で叫びました。

「ただいま、”船越”隆一が帰って来ました!!」

この第一声にふたりは仰天すると同時に、
思わず涙をこらえきれなくなったそうです。

隆一君の気持を何よりも尊重していただけに、
お二人にとって、何と嬉しい言葉だったことでしょう。

また、こんな話があります。

松居さんが、あるテレビ番組の占いコーナーで、
著名な占い師から、名前を変えた方がよいと言われたことがありました。

「一」代ではなく「和代」にした方が運勢が変わるとのことでした。

松居さんは即座に「いえ、このままでいいんです」
と答えました。

その理由は、こういうことだったのです。

一代さんの「一」は、
隆一君の「一」、英一郎さんの「一」、
こんなに大切な「一」を変えられるはずがない松居さんでした。

現在、いろんな活躍の場を持つ松居さんです。

掃除のスペシャリストとして
マツイ棒」を発明したのも有名です。

掃除で、あれほど徹底的なスペシャリティを
発揮できるようになったのにも理由があります。

実は、アトピーで苦しんだ隆一君の環境を守るために、
あれこれ部屋まわりを清潔に整えることに一生懸命だったのですね。

松居さんは、こんなことを称して、自らを
「転んでもただでは起きない」と言っています。

確かに、ジェットコースターのような松居さんの軌跡ですが、
降りるときの勢いすら、次に駆け上がる足がかりに出来る
松居さんの強さがしのばれます。

参考本:芸能界「心に残るいい話」東海林のり子:二見書房より