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渡辺和子「全ての存在を確かめる瞬間」

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胃の存在が否が応でも知らされるのは、

胃の調子が悪い時であり、

自分に歯があると気づくのも、

歯が痛いときでしかない。

ふだんはあっても無くても別段かまわないような、

小指の存在の大切さは、

その小指に怪我をして、

顔一つ洗うのにも不自由する時に、

はじめてわかるものなのだ。

言葉を換えていえば、

そのものを忘れていられる時は、

健康な証拠なのだ。

~~~

出典

[愛をつかむ]

渡辺和子 著

PHP研究所より

西田文郎「有無・無有の思考法」

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人は自分にないものを持っている人を尊敬します。

他人を敬うこと自体は素晴らしいことです。

ところが、自分が持っていないものだけに意識を向けていると、

「あれもない、これもない」とマイナスの錯覚を起こしてしまいます。

そうした考えから脱するには、「有無・無有の思考法」が役に立ちます。

つまり、「相手にあって、自分にない」という思考を逆転して、

「相手になくて、自分にある」ことを考えてみるのです。

私は企業の社員教育にいくと、物事を逆から見るという訓練をさせます。

たとえば、支店に勤めている人は、本店に対してコンプレックスを抱いている人が多い。

どうせ、支店では大したことができないと思っている傾向にあります。

そういう場合には、

「本店にあって支店にないものは何ですか」と一方思考で考えさせると、

「やっぱり本店はすごい」と思って勝てなくなってしまう。

ところが、逆から見てもらうと

「支店にはあれもある、これもある」とどんどんアイデアが出てくるのです。

人間がすごいのは弱いからです。

像やライオンより強いからではありません。

人間は弱いからこそ、自分にあって相手にないものを常に脳に問いかけてきた。

だからこそ、人類はここまで発展してきました。

そもそも、世の中に絶対ということはありません。

いままでこうだと決めつけていたことも、

逆の立場になってみると、違った側面が見えてきます。

この逆からの発想が、いつの間にか自分が

絶対と決めつけている「正しさ」に拘泥(こうでい)していることに気づくための、

もっとも有効な方法です。

一つひとつ逆から見る癖をつけておくと、

自分と反対意見を持った人がいても

「そういう考え方もあるよね」と受け入れられるようになります。

そうすると、世の中から喧嘩や争い事がなくなるはずです。

自分だけが正しいと思ったら、破滅が始まります。

自分の「正しい」をやめる勇気を持ちましょう。

それが悪い錯覚を外すためのもっとも重要なポイントです。

そして、それが進歩や進化につながっていくのです。

『錯覚の法則』大和書房

東芝さん、どうか土光さんを思い出して欲しい

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業では、大きく体質転換をしようとするとき、
会社トップを交代させることが多いですね。

新しいトップのリーダーシップによって、
組織が劇的な変貌を遂げる、そんな例はよく見受けられます。

「荒法師」とか「ミスター合理化」と呼ばれた土光敏夫さんは、
石川島播磨重工業の社長を経て、昭和40年、東芝の社長に迎えられました。

当時の東芝は、実質上の破たん状態に陥っていました。

土光さんでなければ、東芝の再建は不可能とまで言われていたのです。

というのも、名門意識や驕りが会社の空気に蔓延しており、
役員ら経営陣すら危機感を自分のものとして捉えていなかったのです。

土光さんは、就任早々の訓示でこう語りました。

「経営の責任は社長にある。社長が偉いわけでも大きいわけでもない。
 ただし、己の持ち場でひたすら働く者を尊重したい。
 社員はこれまでの3倍頭を使え。重役は10倍働け。
 君たちだけを置き去りにはしない。自分はそれ以上に働く」

土光さんはそう宣言し、その宣言通り誰よりも働きました。

まず土光さんは必ず7時には出社しました。

会社の始業時間は、午前9時から夕方5時までです。

朝の7時から始業時間の9時までは
「誰でも自由に俺の部屋に入って来い」と言って、
社長室をオープンにしました。

ここのところは、田中角栄氏が新大蔵大臣に就任した時と同じです。

角栄氏も、大蔵官僚への最初の挨拶の結びでこう言いました。

「一緒に仕事をするには互いによく知り合うことが大切だ。
 われと思わん者は誰でも遠慮なく大臣室にきてほしい。
 何でも言ってくれ。上司の許可を得る必要はない。
 できることはやる。できないことはやらない。
 しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う。以上。」

さて、土光さんですが、実際に役職のない平社員でも、
ドアを開けて入って来れば、大真面目に話し合いました。

土光さんは自分が早朝出勤しても決して部下には強制しませんでした。

しかし、社長が7時に来ているのに、
部下たちが9時に出社するわけにはいきません。

自然に重役や幹部社員の出社時間も、
1時間ないし2時間近く早まったと言われます。

土光さんは自ら率先垂範することで、
東芝から「重役時間」を追放してしまいました。

トップの交代で、組織が「一気に」変化するのではなく、
トップの行動で、少しずつ部下の心に変化が生じるのでしょう。

役員の心が変われば、これまたその部下にも、
少しずつ、変化のさざ波が起こります。

そうやって、ある一定時間の初めと終りを切り取り、
振り返って見れば、大きな組織の変貌が明らかになるのでしょう。

 
社長に就任して間もない時、
ある専務が「石川島の造船所をみたい」と、土光さんに言いました。

「よし、今度の日曜日にボクが横浜造船所を案内してやろう。
 朝9時に、造船所正門の前で待っている」

その専務は、東芝の社用車を自宅に呼んで現地へ向かいました。

ところが、その専務は自分の甘さを省みることになったのでした。

土光さんにとっての自然な行動が、
無言の圧力でその専務を反省させたのです>>>

光さんの行動です。

土光さんは、一足先に自宅からバスと電車で造船所に着き、
造船所の門の前で待っていたのです。

専務は、
「石川島の造船見学も、仕事のうち。
 まして日曜日に出かけるのだから、
 会社の車を使って当たり前」
と考えていたのでした。

ところが土光さんは違いました。
「ボクは、石川島の役員も兼務しており、
 造船所に行くのは仕事といえるかも知れない。
 しかし、今日の工場見学はあくまでも個人的なもの。
 私用なのだ。
 そんなことに、会社の車を使ってはならない」
と判断したのでした。

公と私についての、このセンスの違い。

前任の社長は、11時に出社するわ業者からリベートはもらうわで、
役員の思考も社内のムードも腐っていたのでした。

専務の公私混同も、少し前の会社の環境ならば、
自然な行動に過ぎなかったのです。

これを知った東芝の全役員は、
土光さんの公私の峻別を目の当りにして震え上がったそうです。

以来、公私混同をしていることの多かった東芝の社風が改まりました。

役員の専用車も合理化しました。

「重役が乗らないときは、部長に使わせろ。
 一日に一時間も乗らないのに、一台あてがう必要はない。
 そんなことをするから、公私混同するのだ」

土光さんの裏も表もない徹底した公私混同のない姿を見て、
もはや誰も後ろ指を指す人はいません。

社長の姿を見て、勝手に合理化は進んでいきました。

業績は回復して行き、やがて土光さんは東芝の黄金時代を築いていきます。

現在の東芝は、はっきり申し上げて、
いつか来た道のように、ダメな会社になろうとしています。

外部から逆風の激しい昨今でしょうが、
やはりここは、本来の姿を取り戻すべく、
激励の「喝!」の意味で、土光敏夫さんの記事を引っ張り出しました。

小泉進次郎氏の借り物でない挨拶の言葉です

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民党、いま、色々ありますが、
小泉進次郎氏は、相変わらずの人気です。

なぜ彼の人気が高いのか、この挨拶にあるように、
いつも自分の言葉で話す習慣を持っているから、
というのも理由のひとつでしょう。

陸上自衛隊(高等工科学校)卒業式での小泉進次郎氏の挨拶です。

———————————————–

219名の第55期の皆さん、卒業おめでとうございます。

また、ご家族、保護者の皆さん、教職員、保護者のみなさん、
教職員、学校長をはじめ、多くの関係者の皆さんに対しても、
ご卒業お喜びを申し上げます。

私は1年前の卒業式のことを忘れることができません。

3月13日でした。

震災から2日後、同じこの会場で卒業式が行われました。

卒業式の間、保護者の皆さんが持っている携帯電話が鳴り、
大きくはなかったですが、地震の揺れを感じました。

誰もが震災の2日後で、まだ緊張感を持っている。

そういう卒業式でありました。

おそらく卒業生の皆さんは、今の在校生が座っている席に
座っていたと思います。

そして去年は、保護者の席がいくつか空いてる席がありました。

震災の影響で、お子さんの卒業式に駆けつけることが
出来なかった、多くの保護者の皆さんもいらっしゃいました。

そのことを考えた時に、今日このように、
多くの方が一同に会して219名の皆さんの卒業を
お祝いできることを、私も心から嬉しく思います。

横須賀で生活をしていると、
色々な場面で本校の生徒さんとお会いする機会があります。

震災後、横須賀中央駅の前で街頭募金をやっていた時に、
生徒さんの何人かが募金をしてくれたことを
今でも覚えています。

皆さんが外出を許されて、横須賀で遊んでいる時に
たまたま会って、私が、
「高工生でしょ?」
そう言うと、

「何でわかるんですか?」

「雰囲気で分かるよ」と、
そう言って笑いあったことも覚えています。

私は皆さんを見ると、

「これからの自衛隊、これからの日本は大丈夫」

そういう希望を持ちます。

特に、東北の被災地の皆さんは、今回の震災を機に、
どれだけ皆さんに対して感謝の念を持っているか、
希望を感じているか。

卒業生の皆さんの中で、まだ一度も被災地に
足を運んでいない方がいたら、是非、機会を見つけて、
自分の目で、自分の肌でそれを感じてきて
いただきたいと思います。

昨日、午後2時46分、
多くの国民が、また世界中の人が黙とうを捧げました。

私は宮城県の女川町の式典で黙とうを捧げていました。

皆さんの先輩である、陸上自衛隊の方は、
南スーダンのジュバで、現地時間の朝8時46分、
日本の東北の方角を向いて黙とうを捧げていました。

この震災で皆さんの活動が評価され、
期待がかつて無いほど高まっている。

喜ばしいことではありますが、同時に、
期待というのは、評価というのは、
積み重ねることが大変だけど、それを失うときは、
あっという間でもあります。

どうか、これから未来の自衛隊を担う皆さんは
自信を持って、今まで築き上げた自衛隊の評価、
そして高等工科学校の歴史、これらを受け継いで、
胸を張って自信を持って活動をしていただきたいと思います。

皆さんもおそらく子供の頃、夢があったと思います。

私も夢がありました。

当時はプロ野球選手になりたかった。

今ではまったく違う世界にいます。

皆さんもそうかも知れません。

今、自分が自衛隊の道に進む。
それを予想していなかったかも知れません。

今、被災地の子供たちの中で、

「夢は何ですか?」

「将来、何になりたいですか?」

そう聞いた時、その答えの中に皆さんの姿があるんです。

人の命を助けたい。

困った時に、人の役に立つために自衛隊になりたい。

そういう、日本の将来を担う世代が出てきている。

その人たちに恥じることの無いような自衛隊の姿を、
これからも見せていただきたいと思います。

私たち政治家は、皆さんに恥じることの無いよう、
政治の信頼を高めていくための努力を
最大に努めて参ります。

最後に私がひと言申し上げたいのは、
自衛隊の道をこれから選ばなかった、5名の
依願退職をされる皆さんに対してです

 

は、その5名の皆さんの両肩に担っている使命、
これは非常に大きいと思っています。

多くの国民は、高等工科学校という存在を知りません。

皆さんのような年で、これだけの日々を、
厳しい訓練を乗り越えて社会に出る、
そんな皆さんの存在を知りません。

皆さんの存在を、社会に届けてください。

この本校で学んだことをこれから民間の世界で生かし、
活躍される5名の皆さんは、3年間学んだこと、
そして同期がこれからも自衛隊で頑張る姿を、
多くの出会う人々に伝えてください。

それが皆さんの役割です。

それを思うと、これからの自衛隊の道を進む方、
そしてそうではない方、
私は両方とも大きな意義があると思います。

これからもこの横須賀に住む者として、
地元に高等工科学校があることを誇りに思い、
感謝をして、皆さんの活躍を応援していきたいと思います。

最後になりますが、今後の皆さんのご活躍、そして任務中、
またこの社会の中でご健康とご多幸を祈念して、
卒業のご挨拶と代えさせていただきます。

本日は、誠におめでとうございました。

———————————————–

通り一遍でない小泉進次郎氏の挨拶。

彼は将来の政界中枢を担う存在になろうかと思いますが、
これから一皮も二皮もむけ、
より大きい政治家に成長してもらいたいと思います。

今、ニッポンは嫌われてる?好かれてる?

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、政治の世界では、日本は韓国や中国から嫌われたりなど、
いろいろありますが、多くの国々から日本は好かれてる方だと思います。

おおむね真面目で律儀に約束を守り、
自分中心じゃないところなどが、
好感をもたれるところじゃないでしょうか。

日本が国際化に進出した明治の頃から、
すでに海外のニッポンファンの種はまかれています。

たとえば、日本VSロシアの戦いの時。

明治の日本が、国の存亡をかけて戦った日露戦争です。

日本海海戦で日本はみごとに勝利を収めたものの、
それ以上戦い続けるのは、国力の面から無理な状況でした。

大国ロシアもプライドがありますから、
局地戦では負けているものの強気の姿勢は崩しません。

そんな時に戦争を終結すべく、当時のアメリカの大統領、
セオドア・ルーズベルトが間に入ってくれることになったのです。

これはポーツマス条約と呼ばれています。

1905年、アメリカのニューハンプシャー州にあるポーツマス近郊で、
日本全権の小村寿太郎とロシアの全権大使の間で調印が行われます。

アメリカのとりなしに感謝した小村寿太郎は、
1万ドルをニューハンプシャー州に寄付します。

「州内の慈善事業に使っていただきたいと思います」
という手紙を添えて。

すると、対抗上、ロシアも同額の小切手を寄付しました。

結果、「露日基金」という名前で同州に残りました。

しかし、しばらくしてロシアで革命が起こりました。

その途端、支払をストップし、それ以降、
ロシアからの送金はありませんでした。

それでは日本はどうか?

実は日本も送金しませんでした。

同じ送金しない国でも、ロシアには何となくアンチの風。

日本には何となく好感のそよ風。

その違いはどこにあったのでしょうか?>>>

 

本が送金しなかったのは、

アメリカと戦争をしていた期間とその後の9年間だけです。

アメリカによる資産凍結、そして敗戦と、
とても支払ができる状況ではなかったからです。

しかし、その後の9年間は、滞っていた9年間の分を合わせて、
なんと倍の額を律儀に支払い続けたのです。

ちなみにその基金、いつまで続いていたと思います?

実は今もなお続いているんです。

もう100年以上もです。

名前は「露日基金」ではなく、
「日本慈善基金」に変更になっていますが。

もし、個人の間柄だったら、こんな友達に対しては、
絶対的な信頼を置きますよね。

信頼ってこんな時に結ばれるような気がします。

問題が起きていない時に、いい顔をするのは誰でもできます。

本当の信頼関係は、

『問題が起きたことではなく、

問題のあとにどう対応するか』 

だと思います。

そこで、誠心誠意尽くせたら、一生の絆が結ばれます。

英国BBC放送が33か国を対象に行った
「世界によい影響を与えている国」ランキングで、
ニッポンが世界でトップだったのも、
こういう姿勢の積み重ねの結果でしょう。

問題なんて、いつでもどこでも起こります。

起きた問題に対して、自虐的になる必要もないし、
鼻息荒くする必要もないと思います。

問題のあとにこそ、国や人の真価が問われる種が
仕込んであるからです。

ただこの例にあるように、僕らの先輩たちは、
ある一定の美学を確かに保有していた、
そのことを僕らは誇りに思っていいかと考えます。

「この苦しみから立ち上がることができない」と思っている人へ

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「これ以上辛いことはない」

「この苦しみから立ち上がることができない」

そのような絶望の中にあったとしても、

なお希望を見いだす人たちに、私は会うことができました。

それは、1部の人が起こす奇跡ではなく、

苦しんでいる私たち、誰もが、そうなる可能性を持っているということを教えてくれました。

人はただ単に苦しむのではありません。

その苦しみを通して実に多くのことを学んでいきます。

健康が当たり前であったときには気がつかないことを知るようになります。

それは、どちらかというと、目に見えないものです。

人の優しさであったり、

家族や友人の思いであったり、

道ばたに咲く花の美しさであったり、

命の尊さであったりします。

苦しみは、決して負の要素だけではありません。

苦しみを通してはじめて見えてくるものがあるのです。

~~~

出典

[苦しみの中でも幸せは見つかる]

小沢 竹俊 著

扶桑社より

衰弱して瀕死の犬がいた。それを見た女子★生が「うわっ!キタネぇ犬www」「道に飛び出してひかれないかな?」と言って…

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犬の散歩してたら近所のコンビニの駐車場で

衰弱して死にそうな柴犬と遭遇した。

汚れててフラフラで歩くのがやっとって感じ。
 
  
 
駐車場でたむろってる女子高生が

「うわっ!キタネぇ犬www」

「道に飛び出してひかれないかな?」

「それキモいし」

とか言って 騒いでたんで

ムカついて説教かましてやろうと近づいたら、

家の犬が女子高生の自転車にオシッコした。
 
  
 
女子高生が

「やぁー最悪なんだけどー」

「どんだけって感じだし」

とか 頭の悪い騒ぎ方でまくしたててきたので、

ウザいにもほどがあるな・・・

と困っていたら、
 
 
店から出てきた男子中学生2人組みが…
 
  

 
「なあ、犬ってなんで臭いものの臭いかいだり、

 ションベンかけたりするんだろな?」
 
 
「他の犬とかの臭いが臭いから、

 自分の臭いをつけてるんじゃない?」
 
 
「つまりブス臭を中和したと?」
 
 
「あまりのブス臭に耐えられなかったんだろ」
 
 
「犬GJ!」

とブス山さん達を馬鹿にしたあげく、

わめくブスをシカトして

コンビニで購入したドッグフードを

柴犬に食わせてた。
 
 
 
女子高生が文句言いつつ去った後に、

片割れが
  
  
「元気になるまで家で面倒みるわ」
 
 
と柴犬をダッコして帰った。
 
 
日本もまだまだ捨てたもんじゃないな、と思いました。

出典元:http://kiji-share.com/ 
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不器用だけど心が優しい少年ですね^^

ワンちゃん、いい飼い主に出会えて

ホントに良かったね><