橋本左内「志」とは、心が向かうところ
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西郷隆盛に、「その才器、識見、到底自分が及ぶものではない」
と言わしめた “橋本左内”のお話です。
橋本左内が15歳の時に書いた「啓発録」からご紹介いたします。
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「志」とは、心が向かうところであり、私たちの心が「そうしたい」と願うところを指す言葉だ。
武士として生まれた以上、忠孝の精神を持っていない人間はいないだろう。
忠孝の精神があれば、武士にとって主君は大事な存在であり、
また家名を授けてくれた両親も大切な存在だと理解しているはずだ。
そのことに合点がいったなら、当然のように己の将来を重く考え、
こんなふうに思い立つべきだろう。
「我こそは、武芸の腕を鍛え抜き、学問を究め、
過去の聖賢君子や英雄豪傑のようになって我が君主のために働き、
天下国家の役に立って武家の名をも高めよう。
酔ったように生き、夢のように死ぬ者にだけはならないぞ!」
武士の志とは、これほどまでに強くあらねばならないと思う。
志を立てるときは、ふと思い立った気持ちであっても、
その思いがどこに向かっているのか、しっかりと定めなければならない。
そして先の言葉のように、考えて考えて己の指針をハッキリと表明し、
常々その情熱を失わないよう、努力していかなければならない。
では、そんな志を、私たちはどのように立てたらいいのか?
まず書物に影響を受け、そこから閃くということがある。
それから師の講義や友の意見を聞き、自分も啓発されることがある。
あるいは、自ら思い煩い、苦慮して結論に至ることもあるだろう。
さらには激しい憤りを感じたり、感情を突き動かされて、
その結果、志を持つことだってあるはずだ。
いずれにしろ、平常をのほほんと過ごし、
心がたるんでいる状態では、志など立てられるものではない。
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「啓発録」
橋本左内 著
夏川賀央 現代語訳
致知出版社より